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ニューロ・ダイバーシティ

執筆者の写真: 芳栄 平澤芳栄 平澤

ここ最近の私の関心は、ニューロダイバーシティ。


最近読んだ村中直人著『ニューロダイバーシティの教科書』からそのまま引用させていたくと、

「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」というような考え方を含む言葉

そして、この言葉は1998年に自閉症スペクトラムの当事者が生み出した言葉だそうです。


脳や神経でメジャーなタイプとマイノリティのタイプがあり、自閉症スペクトラム障害(ASD)もニューロ・マイノリティの1つ。ちなみにマジョリティをニューロ・ノーマルというらしいです。


多数派と少数派が存在する場合、少数派というのは、多かれ少なかれ不便だったり生きにくくなることは、なんとなく想像できます。

私は左利きなのですが、駅の改札をとってみても、ファミレスのスープをすくうオタマをとってみても、右利きがベースになっているから、とても不便さと心地悪さを感じます。

また、日本の人口減少で、日本語表記がどんどん少なくなって不便だと感じることが多くなるかもしれません。実際Web系では、すでに起こっていますよね。


マジョリティが正しいわけでも、マイノリティが間違いなわけでもない。ただただ、「違い」なだけなんです。なのに、すべてをマジョリティ側にあわせて……というのは、ちょっと傲慢なのかもしれない

と、改めて思ったりします。


ちょっと話が飛びますが、私自身、多様性が大切なワケをうまく言葉にできずにおりました。

グレゴリー・ベイトソンというアメリカの文化人類学者がこんな定義としたといいます。

「違うということそのものが情報なのだ」

Information is difference that makes difference.


つまりは、画一的だと情報すら生まれないということでしょうか。自分と似た同じような人たちと過ごすのは居心地よかったりしますが、そんな中ではアイデアとか生まれにくいというのも、自分の経験や肌感覚としてもわかるような気もします。

大量生産、大量消費の高度成長時代は、画一的な方が扱いやすかったから、マジョリティが絶対的になったのでしょうか。いずれにしても大量生産時代は終焉ですからね。


長くなってしまって、うまくシメられないので、いずれにしても、

みんな違って、みんないい

by 金子みすゞ

ですね。




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